"反対派"の弱み〜「建国記念の日」に思うこと②〜

前記事、"「神武天皇」と2.11と歴史教育〜「建国記念の日」に思うこと①〜"の続きです。

 

前記事で、「2月11日は神武天皇即位の日である」という主張が非科学的であることは紹介しました。

 

非科学的な祝日ではいけないのでしょうか。

たとえば、クリスマスや昇天祭が祝祭日となっている国もありますが、クリスマスや昇天祭は科学的でしょうか?

それとこれとは違う、という意見もあるでしょうが、非科学的であることには変わりありません。

 

国家の祝日は科学的な根拠のあるものでないといけない、ということの根拠はあるのでしょうか?

反対している人たちは、何に反対なのでしょうか?

 

たとえば、日本歴史学協会が度々、「建国記念の日」に反対する声明を出しています(リンク参照。今年度のものはこちら)。

一読すればすぐにわかるように、科学的じゃないからダメ、という主張ではありません。

 

リンク先の各年の「建国記念の日」に関する声明の最初の段落には、全て、以下のような文章があります。

 

日本歴史学協会は、一九五二(昭和二十七)年一月二十五日、「紀元節復活に関する意見」を採択して以来、「紀元節」を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。それは、私たちが超国家主義軍国主義に反対するからであり、「紀元節」がこれらの鼓舞・浸透に多大な役割を果たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じているからである。

 

もちろん、ここでいう超国家主義とは国家を超える共同体を目指すスープラナショナリズムのことではなく、国家主義の強まったもの(全体主義国粋主義)の意味と解釈されます。

 

つまり、「建国記念の日」反対派は、紀元節の復活という事実の向こうに、戦前・戦中の日本の姿を見ている、ということです。

そして、その戦前・戦中の日本の姿とは、超国家主義軍国主義の日本であり、反省すべき、克服すべきものであり、それゆえ反対している、ということです。

日本が嫌いだから「建国記念の日」に反対しているのではなく、

日本がかつてのようになってほしくないという愛国心に基づいた主張であることがここから読み取れます。

 

一方、「建国記念の日」を大切な日とすべきだ、という立場の人々は、なぜ「建国記念の日」に肯定的なのでしょうか。

超国家主義軍国主義の日本を取り戻したいと主張しているのでしょうか。

それも、違います。

 

産経新聞が今朝早く、こんな「主張」を書いていました。

【主張】建国記念の日 国家の存続喜び祝う日に - 産経ニュース

ここには、以下のような記述があります。

 

「建国神話を皇国史観や戦争と結びつけ、それを祝うことは軍国主義の復活である、などとして反対する勢力が、国内で強くなってしまった」

「建国神話を忌避するような風潮はその後も残った。この祝日に反対する声は残念ながら今でもある」

 

ここからわかるように、賛成派にしても、2月11日にまつわるものが史実ではなく「神話」であることくらいはわかっています。

また、反対派が、非科学的だから反対だ、ということを主眼に置いているのでないこと、軍国主義などと結びつけて反対しているのだ、ということも、少なくともこの記事を書いた人はわかっているようです。

しかし、ここからが、両者の食い違いとなっています。

産経新聞の記事をもう少し引用すると、

 

「神話であれ史実であれ、建国の物語はどの国にもあってしかるべきものだ。それは国民を結びつける太い軸となるはずのものである。その物語を自ら否定することは、自分の国を否定することに等しい」

 

となるわけです。

つまり、「建国記念の日」の「反対派」と「肯定派」では、2.11という日付に対する見方が異なるのです。

「反対派」が2.11に超国家主義軍国主義の日本を見ているのに対し、

「肯定派」は2.11に日本そのものを見ているのです。

これでは、議論として噛み合わないですね。

 

実は、産経新聞の上記の記事には、一見説得力がありそうだけれどもおかしなことが書かれています。

 

まず、神話であれ史実であれ、歴史や物語は作られるものです。

つまり、これじゃなきゃいけない、というものではないのです。

ですので、一つの「建国の物語」を否定することは、自分の国を否定することにはなりません。

その「建国の物語」を拠り所とする自国の政権を否定することになる可能性はあります(ならない可能性もあります)が、

それと「自分の国を否定する」こととは違います。

もちろん、自分の国を否定したい人は、その「建国の物語」も否定するでしょうが、

その「建国の物語」を否定することは、自分の国を否定することと、イコールにはならないのです。

 

たとえば、戦前戦中の日本を憎み、戦後の日本を愛し、

国民主権への移行を以て建国記念の日とする物語を国民の軸としても良いわけです。

実際、政治体制の変化の日を建国記念日のような祝日にしている国は多いです。

むしろ、日本のように、伝承にまでさかのぼって建国記念の日を制定している国は他にほとんど見られません。

だいたいの国の建国記念日は、近代・現代の歴史的事実の日付です。

 

上記の記事は、そこでも論理を欠いてしまいました。

日本の「珍しい」建国記念のあり方を以て、「どの国にもあってしかるべき」のように一般化することは不可能です。

産経新聞の記事が言う「どの国にも」ありそうな「建国の物語」に基づく祝日は、

近現代の独立や政治体制の変化という「建国の物語」などに基づく祝日であって、

日本の持つ珍しいタイプの祝日をそこに並べるのはおかしいのです。

 

一方、反対派にも弱みがあります。

たしかに「建国の物語」は上記のように「これじゃなきゃいけない」というものではありません。

ですが、「神武天皇」をそれに用いない、としたら、何があるのか。

代案を出すのか、あるいは、必要ない、と主張するのか。

 

1966年、建国記念日の制定を目指していた政府が、「建国記念の日に関する世論調査」を行いました。

その結果、半数近くが2月11日に賛同し、

他は、5月3日(日本国憲法制定)、4月3日(十七条憲法制定)、4月28日(戦後の主権回復)、8月15日、1月1日と続くのですが、

二番手の5月3日でも10%程度。

わずかながら、制定することそのものに反対の声もあったようです。

 

2月11日でないとすれば、いつがいいのか、必要ないのか。

ここについて、2月11日を超えるだけの賛成を得られる意見を今のところ持っていないわけですね。

ちなみに、その世論調査によると、2月11日に賛同した人々の圧倒的多数の述べた理由は、もとの紀元節だから、なじみがあるから、といったものです。

今、同様の世論調査をしたらどうなるのかはわかりませんが、似たような感じになるのではないかと予想しています。

もしかしたら、沖縄返還の日とかがそれに加わるのでしょうかね。

 

それなりの論理に基づいて、2月11日よりもx月x日の方がいい、とか、そんな記念日はない方がいい、とか、主張すること自体は可能でしょう。

しかし、上記の世論調査のように、様々な意見が出て、少しずつの賛同は得られるかもしれませんが、

これだ!、という代案が出せるわけではないでしょう。

なじみのある2月11日を超えるくらいに市民の賛同を得られる選択肢を提示せずに、批判をしているだけで、どれだけ市民の胸に響くのでしょうか。

その批判を聞いた市民が、そうだそうだ!2月11日は絶対に嫌だ!、と思うくらいに拒否反応を示すのであれば話は別ですが、戦前・戦中を知っていた世代ですらあれだけ多くの人が紀元節の日に賛同したのです。

今では、どうでしょうか?

 

批判することに効果がないからやめろ、と言っているのではありません。

「効果がない」だけならばまだ良いのですが、

建国記念の日に賛成できない反日サヨクがまた騒いでいる!」と槍玉に挙げられ、

ネガティブキャンペーンの格好の標的となり、

却って相手を勢いづかせるだけの結果になっていたとしたら?

実際、そのような傾向のツイートが多くのRTを稼いでいます。

 

一方、「建国記念の日」に反対する声は、どれくらい人気があるのでしょうか?

集会なども各地で開かれていますが、「いつものメンバー」以外はどれくらい集まっているでしょうか?

結局、憲法守ろう、でも、国旗国歌に反対しよう、でも、辺野古埋め立て阻止でも原発廃絶でも、似たようなメンバーで集まって内輪で盛り上がっているだけでは、あまり広がりませんよね。

今までの方法で果たして上手くいっていると言えるのか。

それが上手くいっていないなら、どのように変えるのか。

どうすれば広がるのか。

 

言うまでもなく、この問いは私たちにも大きな課題となっています。

8月の歴教協埼玉大会では、旧来の参加者たちのニーズに応えつつも、

新規参加者に来ていただけるような魅力的な中身を提示できるかどうかが問われていると思います。

建国記念の日」の喧騒から、我が身を振り返らなければ、と思います。

 

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今年の夏の歴教協全国大会in埼玉(8/3〜8/6)の詳細は以下のサイトをご参照ください。

sairekkyo.wixsite.com

 

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