「縄文時代」?「大森時代」?「長い」?「最古の土器」?
埼玉で行われた歴教協全国大会の現地見学の古墳コースでは、途中、群馬県立歴史博物館を見学しました。
その際にみた土器の中に、吉ヶ谷式土器、という埼玉の弥生土器があります。
この土器、縄文があるのが特徴なんですよね。
縄文が施されている弥生土器は、茨城の十王台式土器なども有名ですが、東日本ではそう珍しくはありません。
モースが偶然見つけた大森貝塚の土器に縄目の文様がついていて、その文様、つまり「縄文」が、いろいろな成り行きにより、日本列島における「土器は作っているけれど農耕社会ではない時期」の文化の名称に冠されているわけです。
しかし、もし偶然、先に吉ヶ谷や十王台の縄文のある土器が先に発見されて「縄文土器」と名付けられていたら、どうなっていたのでしょう?
また、「縄文時代」に作られた土器の中に、縄文のないものはいくらでもあります。
「縄文時代」に作られた、縄文のない隆起線文土器をみて、「縄文土器だ」というのは、どうなんでしょう?
長年にわたって親しまれた(そして研究史にも定着した)「縄文土器」「縄文時代」「縄文文化」という言葉を批判するのは、とても勇気がいるのですが、文化の名称としては、やはり最初に発見された遺跡である大森貝塚から命名した「大森文化」あたりが妥当なのではないかと思います。
そして、その時代を指し示す語が必要であれば、「大森時代」が良いのではないか、と思います。
こちらは「岩宿時代」と異なり、用例が見当たりませんね。
さて、勇気を奮って、ここからは「大森文化(縄文文化)」と呼ばせてもらいます。
大森文化(縄文文化)の特徴は、「土器は作っているけれど農耕社会ではない」ということです。
大森文化(縄文文化)は旧石器時代には属さないのでしょうが、かといっていわゆる新石器時代の文化とも異なります。農耕・牧畜を基軸とする社会ではないからです。
その状態が1万年にわたって続いた、というのが、興味深いところなのかもしれません。
さて、よくある話を2つ。
①「縄文時代ってなんで他の時代に比べてそんなに長いの?」
まず、①について。
たしかに、「土器は作っているけれど農耕社会ではない」が1万年続いたのは興味深い特徴ですが、他の時代、つまり「平安時代」や「明治時代」に比べて長い、という比較には意味がありません。
そのような比較をしてしまう生徒が実際にいますが、それは、生徒が悪いのではなく、教科書か、教員の教え方に問題があるのでしょう。
なぜその比較に意味がないのか。
それは、時代の「定義」が全く異なるからです。
同じ「時代」という名称を用いていますが、指し示しているものが違います。
たとえば、あなたが今年のゴールデンウィークにニューヨークに行ったとしましょう。その1週間をあなたが「ニューヨーク時代」と名付けたとしましょう。
「小学校時代」が「ニューヨーク時代」よりも長い、と比較する意味はありますか?
と言えば、比較する意味がないことはわかりますね。
「縄文時代」(いや、大森時代!?)は、日本列島という地域(の大部分)の先史時代の人々の生活の特徴から区分した時代です。
「平安時代」は日本という国家の権力者が主に平安京を中心に政治をしていた時代です。「明治時代」は日本という国家で明治という元号が用いられていた時代です。
全く違いますね。
次に、②について。
世界最古かどうかを証明することは難しいです。
今発見されている中で・・・ということは言えるかもしれません(いや、言えないかもしれません。中国、湖南省の玉蟾岩洞窟や江西省の仙人洞などの洞窟遺跡の土器などがかなり古いと言われていますので)。
ただ、確実に言えるのは、仮に日本列島で世界最初の土器が作られたことが証明されたとして(証明は無理だと思いますが)、だから日本文明だ、日本人すごい、と主張するのは、とても滑稽なことだ、ということです。
世界最初の石器が仮にケニアで作られたとして、ケニア文明だ、ケニア人すごい、と言うのと五十歩百歩です。
今の国境ができたのは、日本列島で土器が作られてから1万何千年も後のこと。今の国境を当時の出来事に当てはめる意味は特にありません。
もしかしたら、世界最古級の土器を作った人々の血を、今の日本人の一部はわずかにひいている可能性はあるでしょうが、だから何なのか、という話です。
その土器に縄文をはじめとする複雑な文様を施した彼らの意識は大変興味深いですし、技術的にも難しかっただろうと推察しますが、残念ながら、自称彼らの子孫である人々は、その文様の意味も(様々な推測はありますが)忘れてしまいました。
たしかにあの火焔土器は素晴らしい、と私も思います。でも、忘れてしまった文化を、意味もわからないのに、我が事のように自慢するのは、何かおかしいように私は思います。
「土器は作っているけれど農耕社会ではない」状態が1万年続いたという、その1万年の間に培われた文化の中で、私たちが受け継いでいるものは、どれくらいあるのでしょう?
※以下のコーナーは2019年8月16日に一部加筆
☆日本史の授業でLet's対話!! ①どのようにして土器は発明されたのだろうか? (土器の作り方、ではなく、そんな特別な作り方をするものを、どうやって作り始めたのか、という視点。おそらく偶然から生じたイノベーションだろうが、自由な発想が求められます) ②なぜ土器を作り始めたのだろうか? (①と似て非なる発問。「食生活が変化したから?」「どう変化したのだろう?」と対話が続きます) ③なぜ土器に文様をつけたのだろうか? (答えはわからないのだが、いろいろな答えを考えてもらった上で、「ごめん、私もわからないんだ」と白状することがあっても良いでしょう。そもそも、そんな昔のこと、ほとんどのことはわからないのです。教科書には、土器に文様が施されたことは書いてあっても、その理由は書いてありません。教科書に載っていることは、今わかるほんのわずかなことである、ということを理解してもらいましょう) ④文字もインターネットもない時代に、どのようにして「遠方との交易」が行われたのだろうか? (教科書や資料集に必ず載っている、黒曜石や翡翠の交易ですが、「お互いにどうやって知ったのか?」「地図とかないでしょ?」「隣の集落どうしでの交換が長い時間をかけて・・・ということでは?」などといろいろな発想が出てきます) ⑤大森文化(縄文文化)の人々の生活の中で、今の私たちにも共通しているものは何だろうか? (いろいろ答えは出てくるでしょうが、たとえば漁労などに気づいてほしいところです。日本人は米が主食、ということで次の弥生文化でも稲作が始まったことを詳しく解説することになるのでしょうが、それを相対化できます。日本食の特色のひとつは多様な魚介類にあるのだと思いますが、稲作よりも1万年長い漁労の伝統を知るのは、自文化理解の一助となるでしょう) |