弥生文化を選ばなかった人々への視点

ここまで、日本列島の旧石器時代の文化は「岩宿文化」と呼ぶべきかもしれない、「縄文文化」ではなく「大森文化」と呼ぶべきだ、と言いたい放題でしたが、「弥生文化」は、その最初に発見された弥生町遺跡から名前を採っており、命名自体に不満はありません。

 

現状に対してものを言いたいのは、「弥生文化」を選ばなかった(水稲農耕中心の生活を選ばなかった)地域の文化、「続縄文文化」「貝塚文化」についての扱いが小さいことです。山川出版社の『詳説日本史B』(2016年3月検定)では、下の小さい文字で書かれた欄に太字で表記、という扱いです。おそらく、太字であることに何かの主張があるのでしょう。

 

現行の高校学習指導要領でも、新指導要領でも、それらの扱いはとくに記されていません。

琉球」「アイヌ」であれば、新指導要領には登場します(現行の指導要領でも、「解説」には載っていますが)。

しかし、「琉球」「アイヌ」の文化が生まれる前の段階が、すっぽり抜けてしまう危険性があります。

「続縄文文化」(この名称もどうかと思います。前回の記事で「縄文文化」を「大森文化」と勝手に変えてしまったように、何か思いついたら変えたいです)については、ただ「北海道に住んでいた人々は水稲耕作をしなかった」という文脈だけではなく、その後、北東北までこの文化が広がっていく(おそらくエミシと関係してくるでしょう)という大事な要素があります。弥生文化の方が優れていて、どんどん広がっていくのだ、という固定観念は通用しません。

また、琉球方面について言えば、沖縄本島などを中心とする文化だけではなく、先島諸島宮古島石垣島など)にも目を向けたいところです。先島はそもそも大森文化(縄文文化)の影響も少なく、弥生文化と同じ頃には土器を持たない文化になっています。台湾やもっと南方の海洋文化とのつながりを考えることができます。

そのような言い方をすると、そういうことなら北海道や琉球以外にも・・・という声や、逆に、そんなローカルな文化まで全部入れたらきりがない、という声などが聞こえてきそうです。

文化の多様性を扱う、という意味においては、前者の主張がもっともですし、扱う量に限度がある、という意味においては、後者の主張がもっともです。

しかし、北海道方面の文化や、琉球・先島の文化をもっと扱うべき、というのには、文化の多様性を学ぶ以外の別の理由が2つあります。

 

1つ目は、現在の国境では捉えられない交流を学べるからです。

先島であれば台湾やフィリピンとの繋がり。

北海道であればオホーツク海やサハリンとの繋がり。

九州などと朝鮮半島・中国の繋がりについては、すでにかなり扱われていると思いますが、それだけが外との関係ではありません。

 

・・・今、わざと「外との関係」と言いましたが、不適切ですよね?

これが、今の国境という固定観念に囚われた見方です。

国境がないのだから、先島に住んでいた人たちにとって、九州に住んでいた人が同胞で、台湾に住んでいた人が外である、という感覚はあり得ません。

「岩宿(旧石器)→大森(縄文)→弥生→古墳時代のヤマト政権→日本!」

という一直線の時代観では、まるで今の日本というまとまりが、日本国誕生以前からあったかのような錯覚を覚えてしまいます。

そこでいい薬になるのが、今の国境と関係なく動いていた人たちの営みになるわけです。

新指導要領にも、日本史探究の「原始・古代の日本と東アジア」のところには、「中国大陸・朝鮮半島などアジア及び太平洋地域との関係」に着目するよう書かれています。「などアジア及び太平洋地域」という語がある以上は、ぜひ、と思います。

※この発想でいくのであれば、マリアナ諸島などとの繋がりの指摘される小笠原の先史文化も無視できない、となります。

 

2つ目は、流行りの言葉で言えば、「多面的・多角的な考察」というものですね。これは大切なことだと思います。

「多面的・多角的な考察」にこだわるなら、弥生文化を、水稲耕作を受け入れなかった側から考察するのは、非常に有効なはずです。

受け入れるのは当たり前のことではありません。

先島の無土器文化などはもっとショッキングかもしれませんね。土器すら用いるのをやめる(台湾との繋がりが想定される土器を用いていた時期も、もっと古い時期にはあったのですが)のですから。

土器を用いている方が発展しているのだ、とか、農耕を行う方が発展しているのだ、とか、そういう一面的な進歩史観から脱することができるのが、北海道や琉球・先島の先史文化を学ぶ意味だと思います。

 

・・・というわけで、弥生文化については、とくに文句はないと言いましたが、次に出てくる「古墳時代」との関係については・・・それは次の記事に譲りましょう。

 

☆日本史の授業でLet's対話!!

①農耕のメリットとデメリットは何でしょう?

(デメリット、が肝心です。上記の記事で述べたような、水稲耕作を受け入れなかった地域まで視野に入ってきます。サピエンス全史風になりますが、貧富や身分の差、戦争の発生などだけでなく、健康に与えた影響などまで視野に入れられると良いですね。「当時の人々は、そのメリットやデメリットを想像できたでしょうか?」と問いかけると、イノベーションの落とし穴が見えてきます)

②ところで、今、米どころと言ったらどこでしたっけ?

(中学校までの知識で、生徒たちは北海道や新潟県、東北諸県といった寒い地域を思い浮かべます。ところが、北海道は弥生文化を受け入れない地域なわけです。そこから、稲が南方系のものであることなどに触れていきつつ、じゃあなぜ今の日本では寒い地域が・・・?などと聞いてみると、生徒から「品種改良」という言葉が漏れてきたりします)

弥生文化の開始年代、議論が分かれているのはなぜでしょう?

(教科書や資料集によって微妙に数字が異なったりします。その理由に、科学的な調査結果があるわけですが、「科学的な調査が行われたのなら、それが正しいのでは?」「なぜ反論があるの?」などと話が進んでいくと、科学は万能ではない、あるいは、科学は万能かもしれないがそれを用いる人間は万能ではない、という事実に突き当たったりするかもしれません)

④「魏志倭人伝を読んでみよう!〜たとえば、「なぜ景初3年」?〜

(ベタな話題ですが、やはり面白いんですよね。たとえば、教科書などにも本文の引用されていますが、なぜ「魏志倭人伝には卑弥呼の遣使が「景初2年(238)」と書かれているのに、わざわざ「景初3年(239)」の誤りである、と解釈しているのか。こういう細かいところが使えたりします。実は他の史料には景初3年と書いてあるとか、遼東の公孫淵の状況とか、そういうことが問題になってくるわけで、史料批判という作業の追体験を出来たり、国際情勢の中で「親魏倭王」を捉える視点を得られたりします

⑤「旧石器時代新石器時代青銅器時代鉄器時代」を日本列島の歴史に当てはめてみると・・・?

(鉄器が出てきたところで、こんな作業をすると、各文化の諸要素を振り返ることができ、良い復習になります)