「神武天皇」復活論

日本史の教科書に、初めて「天皇」という称号を贈られた人物が登場するのが、古墳時代です。陵墓の話題だったり、ワカタケルや倭の五王の話題だったりするわけです。

 

ふつうに授業を進めていたら、皇国史観教育で花形だった、「神武天皇」も「日本武尊」も「神功皇后」も登場しません。「仁徳天皇」もせいぜい名前だけ。

(「神武天皇」については記紀を紹介する際か、明治維新紀元節の説明をする際に言及されることはあるかもしれませんが)

それが戦後の歴史教育です。

 

敢えてそれを批判したいと思います。

「まだ墨を塗っているの?」と。

 

「教科書は自虐史観なので扱わないが、本当は神武天皇が紀元前660年に日本を建国したのだ」

という言説に対して、今の歴史教育を教科書通りに学んだ生徒たちは、反論できるでしょうか?

 

むしろ、「神武天皇が紀元前660年に日本を建国」と意訳できそうな内容のことが『日本書紀』という史料に書いてあるのに、どうしてそれが史実ではないという話になってしまうのか、生徒に考えてもらえば良いではありませんか。

歴史教育は、歴史学者を育てる教育ではないですが、資料から考える力も養うべきもののひとつなわけです。

「神武東征」などから始まる皇国史観教育を乗り越えたいなら、それを墨で塗るだけ、扱わないだけ、ではダメです。

ただ「神武天皇?知らない!」という生徒を育てているだけでは、「知らないでしょ?それは学校の歴史教育反日サヨクだからだよ」という言説の格好の餌食です。

神武天皇」を教科書から排除するのではなく、「神武天皇が紀元前660年に日本を建国」となぜ言えないのか、という教材を授業で扱える教科書にすべきだったのです。

 

神武天皇」は、教科書から隠せば消える存在ではありません。

短く見積もっても記紀編纂から敗戦頃まで1200年以上にわたって「初代の天皇」として信じ続けられた存在です。

神武天皇」というテクスト上の存在が、実在しようとしまいと、時代が異なる別の人物がモデルであろうと、複数モデルの融合であろうと、「神武天皇が初代の天皇ということになっていた」という1200年以上の過去は消えません。

 

また、伝承上の「天皇」たち(あるいは神話など)について、歴史学的な議論を踏まえて扱うことには、地域に根ざした教育への寄与という意味もあります。

地域で親しまれている神社に祀られている神や、創建の伝承(伝承上の「天皇」たちの代とされているケースも多い)などと結びつけやすいからです。

寺院であれば、日本史の授業で様々な僧侶や宗派について学ぶので、円仁が創建したとか、浄土真宗だとか、地域の寺院にそのような由緒があれば、授業の内容が結びつけやすいものですが、神社については、なかなかそうもいきません。

調べ学習をしたら、結局、専らネット上の情報に頼ることになる可能性もあります。

 

「神話や伝承は歴史ではないのだから、載せるべきではない」という意見もあるでしょう。

「神話や伝承は歴史ではない」からこそ、神話も伝承も扱わない、ではなく、歴史が何なのかを考える教材にしてはどうでしょうか。

歴史が何なのか、というのも簡単なことではありません。過去と歴史は異なるわけです。事実だけを扱うのだ、という簡単なものではありません。例えば当時そんな名前のものはなかった「鎌倉幕府」を扱うわけですから。その際に、神話や伝承との違いというのは良い切り口のひとつになりそうな気がしませんか?

また、すでに述べたように、神話や伝承が、歴史とどのように区別されるのかを学ばなければ、「皇国史観」を乗り越えたことにはならないのです。

また、それらの神話や伝承が語り継がれた歴史はあり、日本史に大きな影響を与えているのです。

・・・ということを踏まえて、あえて「神武天皇」に塗られた墨の上から、歴史学的な観点からの「神武天皇」を上書きすることを提案したいと思います。

 

※前回の記事に引き続き、これも、古墳時代についてのメイン記事ではありません。「日本史の授業でLet's対話!!」の古墳時代バージョンも、次回以降で。