「嘲笑」「無視」〜「リベラル」でない意見を排除する"リベラル"〜

とある記者の質問や、反対党の議員からの質問を、嘲笑したり無視したりする政治家の姿を見て、どう思うか?

 

・・・と問えば、おそらく「リベラル」な人たちであれば、何人かの大物政治家の顔を思い浮かべ、何らかの批判を述べるでしょう。

 

まさに、今回掲げた「対話」の逆をいく態度です。

 

とある界隈の会合などに行けば、「朝日」「護憲派」「反原発派」などが嘲笑の対象になったりします。きっと、朝日読者、護憲派、反原発派などは行きづらいでしょう。

 

これもまた、自分たちの殻に閉じこもった態度で、深い学びはできていないのだろうな、と思います。その中で「いや、憲法は守るべきで・・・」とは言いにくいでしょう。

 

ところが、そんな雰囲気が、"リベラル"と思しき側の学習会でも出現したりするんですよね。

「産経」「改憲派」「原発推進派」などが嘲笑の対象になる雰囲気が。

(もちろん、それは一部だと信じていますが)

 

昨年度の全国大会では、閉会集会での若手の発言で、「産経」などを嘲笑する雰囲気に対する批判がなされました。

 

残念なことに、今年の全国大会でも、一部では、「まあ、この中には「改憲する」なんて馬鹿げた考えの人はいないと思いますが…」というような趣旨の発言があり、嘲笑する雰囲気があった、という報告を受けています。

 

瞬時にして、世の中の、そう少なくない何割かの「改憲」を主張する市民たちを見下す。

そういう人が憲法の授業をしていたら、さぞかし、「憲法を変えた方がいいんじゃないかなぁ」と思っている生徒が居づらい、発言しにくい空気を作ってしまっているのだろうな、と思います。

「まあ、この中には「改憲する」なんて馬鹿げた考えの人はいないと思いますが…」などと言って自由に議論できない雰囲気を作るのは、少なくともリベラルではないですね。

 

 

・・・なぜ、排除するのか。

 

「この中」に「改憲」を主張する人がいるのを、なぜ嫌がるのか。

 

少なくとも、歴教協の設立趣意書に、改憲派を積極的に排除するような文言はありません。

平和主義と民主主義をやめるべきだ、という改憲内容であれば別かもしれません(趣意書の内容からいっても)が、少なくとも本人が平和主義と民主主義の理念は守った範囲内での改憲を検討しているのであれば、そして歴史・教育に関心があるのならば、ともに学ぶべき対象に他なりません。

私自身は9条を今の段階で変えたいとは思いませんが、9条改憲という主張と平和主義・民主主義は、その人の思う「平和主義」などの定義によって、両立するものです。

「それは平和主義じゃない」と言い出す人もいるかもしれません。でも、それは、その人の思う平和主義とは違う、というだけのことです。

 

そもそも、件の発言をした人の中では、護憲が絶対正しくて、改憲が絶対間違っていて、改憲を主張する人は馬鹿だと思っているわけでしょう。

自分の意見を正しいと考えるのは構いませんが、正しいと思うなら、なおさら、「改憲」の人がいても、いいじゃないですか。大歓迎じゃないですか。

ご自慢の持論で、議論して、相手を護憲派にすればいいじゃないですか。

改憲派がひとり護憲派になるのだから、いいじゃないですか。

むしろ、「この中」に「改憲」を主張する人がいたら、大チャンスですよ?

・・・それとも、自信がないのでしょうか。

自信がないのかもしれませんね。

 

以前、「今日は皆で左翼教師を批判しましょう!」という記事で紹介した、「右」寄りの人たちを集めて私がサンドバックになって対応する歴史教育の学習会。とても学べるので、いろいろなところで紹介していますが、今のところ、実践したという人は聞いていません。

ぜひ、護憲が絶対正しくて、改憲が絶対間違っていて、改憲を主張する人は馬鹿だと思っている人がいたら、改憲派を集めて学習会をやってみてください。

あなたの持論を広めるチャンスです。

 

実際は、視野を広げるチャンス、なんですけどね。