若者の自民党支持率は本当に高いのか

参院選を終えて、また、「若者の自民党支持率が高い」(肯定・否定問わず)のような文脈の記事がいくつか出てきました。

20~30代は自民支持4割超 出口調査、無党派の票分散 :日本経済新聞

30代以下、自民支持が増加。60代以上と逆転(参院選の出口分析) | ハフポスト

自民党への投票は「ハズレを引きたくない」リスクに満ちたソーシャルメディア世代の選択?(藤代裕之) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

しかし、どこまで本当なのでしょうか?

まだ参院選の年代別投票率などのデータが出ていないので、ちょっと古いですが、2017年の衆院選のデータで計算してみました(すでに似たようなことをやっている人がいたら時間の無駄になってしまうのですが)。

前の選挙結果ですので、「今さら」感はありますが、今回のデータが出たら比較してみると良いかもしれません。

 

元データは、

(1) 総務省|第48回衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 速報資料 より、「年齢別投票者数(18歳、19歳)【全数調査】」

(2) 総務省|第48回衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 速報資料 より、「年齢別投票状況(年代別)」※抽出調査

(3) 図録▽衆院選の比例投票先が自民党の年代別割合の推移

(4) 統計局ホームページ/人口推計/人口推計(平成29年10月1日現在)‐全国:年齢(各歳),男女別人口 ・ 都道府県:年齢(5歳階級),男女別人口‐

です。

 

2017年衆院選の年代別データ(概算)
a. 年代 b. 人口(*1) c. 投票に行った人口の推定値(*1) d. 比例で自民党に投票した割合(*2) e. 比例で自民党に投票した人口の推定値 f. 比例で自民党に投票した人の比率の推定値(e/b)
18・19歳 239.7万 96.3万 42% 40.5万 16.8%
20代 1192.1万 403.6万 54% 217.9万 18.2%
30代 1456.5万 651.6万 43% 280.2万 19.2%
40代 1858.0万 995.0万 37% 368.1万 19.8%
50代 1553.3万 981.9万 36% 353.5万 22.8%
60代 1760.5万 1268.7万 37% 469.4万 26.7%
70代 1442.3万 1043.6万 37% 386.1万 26.8%
80代〜 1071.4万 501.7万 47% 235.8万 22.0%

(*1) 基本的に上記(2)・(4)のデータをもとに概算したものだが、18・19歳については(1)の全数調査の数値。18・19歳の人口は有権者数で、20代以上の人口はあくまで人口なので、誤差あり。

(*2) 上記(3)のデータによる。

 

あくまで概算、大まかな数字です。

たしかに、(3)のデータを信じれば、実際に投票しに行った人の中で、自民党に比例で投票した人の割合は、若者ほど高い傾向があります。(dの列の数値)

しかし、そもそも若者は人数が少ないので、人口に換算すると、60代が最も自民党に票を入れています。ダントツです。(eの列の数値)

さらに、若者はそもそもあまり投票に行きません。人口比に換算すると、むしろ若者ほど自民党に投票した人の割合は少なくなるのです。(fの列の数値)

 

もちろん、他の世論調査の結果もあるでしょう。

若者の自民党支持が過去に比べて増えている、という話であれば、そうなんだろうと思います。

しかし、票数で言えば、自民党を強力に支えているのは若者ではなく、40代から70代、とくに60・70代です。

 

むしろ、これも散々言われていることですが、若者は巷で言われるほどは自民党を支持していないけれど、野党のことはもっと支持していない。あるいは政治に興味が薄い。

40代から70代は、自民党にとてもたくさん票を入れるけれど、野党にもけっこう入れる。

 

つまり、このブログ記事で言っていることは、全然大したことではないです。

上の表のdの列の数値のようなデータだけをもとに、若者がたくさん自民党に入れている、と思うのは早計ですよ、ということ。

なんだかんだ、ベテランの皆さんが自民党政権を支えているんですよ、ということ。

憲法の大切さを生徒に・・・とか言うけれど

「生徒が皆、日本国憲法は大切だ、9条を守ろう、と思えば授業は成功なんですか?」 

とは、2016年の歴教協全国大会の分科会で私が投げかけた疑問です。

※全国大会の分科会とは、各ジャンルごとの授業実践の報告会。上記の疑問を投げかけたのは、分科会の最後に設けられた総合協議の時間。

 

言うまでもなく、歴教協という団体は、公式サイトの「声明」を見ていただければ分かる通り、日本国憲法を大切にし、9条を守ろうという主張をしてきた団体です。

(決議)9条改憲を許さず、憲法の平和主義を守り育てる教育実践に取り組もう

憲法改正の危機の中で、 子どもたちを主権者に育てる教育を広げよう

 

そんな中で、分科会の協議中に、「生徒が皆、日本国憲法は大切だ、9条を守ろう、と思えば授業は成功なんですか?」 などと挑戦的な発言をしてみたわけです。

憲法の話題になったところだったので、ちょうど良いと思ったんです。

 

ちなみに、参加者の皆様は口々に「それでは成功とは言えない」と言いました。

しっかり事実や論理に基づいて自分の考えを持つことが大事だ、とか、

そういう趣旨の意見が出てきたわけです。

 

残念ながら、協議時間は私だけのものではありません。

以下のようなさらなる発言をして議論を深めることはできませんでした。

 

「そうは言うけれど、日本国憲法は大切だ、9条を守ろう、と思ってほしいんでしょ?それに引っ張られた資料の提示や、発問の仕方になっていませんか?」

 

護憲でも改憲でもいいんですが、社会科の授業者は、社会問題を扱う以上、自らの社会思想から完全に独立して授業を行うことはできません(もちろん、他の教科も同種の問題を抱えているのではないかと思われますが)。

資料の選び方、提示の仕方、説明の仕方、・・・。

どうしたって自分の思想に引っ張られます。

それは、いけないことなのか、そうでないのか?

 

ちなみに、

私はいつも、「私はこう思う。皆がそれに賛成する必要はない。私とは違う、こういう意見もあるし」のようなスタンスです。

不可能である公正中立を標榜するよりは、

(生徒を自分寄りに偏らせるのが目的にならないようにする、という意味で"公正中立"は目指した上で)

自分の偏りをはっきりさせ、生徒にとって自分をも批判対象とさせる方がフェアだと思うので。

実際に、今まで、批判してくれた生徒もいました(正直、多くはありませんが)。

影響力ある授業者が「私はこう思う」と言うのを、生徒が批判するのは難しいでしょう。

だから、せめて、批判力をつけてもらうような授業を目指すこととなるわけです。

 

あの時の協議で、

「生徒が皆、日本国憲法は大切だ、9条を守ろう、と思えば授業は成功なんですか?」

と投げかけたのは良かったのですが、そこでもう一歩先に進めなかったのは、今でも心残りです。

歴教協の全国大会、埼玉県歴教協の研究集会などの分科会では自由な議論が可能です。

もちろん、先ほど紹介した「声明」を出す団体ですので、一定の意見の持ち主が多いことは否めません。

しかし、あくまでリベラルですので、異なる思想を排除したり、嘲笑したりすることはあってはならないはずです(ごく一部からでもそのような態度がみられた時には、私は勉強会後の感想などでボロクソに批判を書いています)。

少なくとも、私は好き放題言わせてもらっています。

たとえ私が批判されても、

その批判を乗り越えられる考えを私が持てるならそれはそれで成長の証ですし、

その批判に屈したら私自身の考えの至らなさに気づけるので、それもまた成長です。

何の損もありません。

 

そんな議論の場を、今年の夏も是非!

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

今年の夏の歴教協全国大会in埼玉(8/3〜8/6)の詳細は以下のサイトをご参照ください。

sairekkyo.wixsite.com

 

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"反対派"の弱み〜「建国記念の日」に思うこと②〜

前記事、"「神武天皇」と2.11と歴史教育〜「建国記念の日」に思うこと①〜"の続きです。

 

前記事で、「2月11日は神武天皇即位の日である」という主張が非科学的であることは紹介しました。

 

非科学的な祝日ではいけないのでしょうか。

たとえば、クリスマスや昇天祭が祝祭日となっている国もありますが、クリスマスや昇天祭は科学的でしょうか?

それとこれとは違う、という意見もあるでしょうが、非科学的であることには変わりありません。

 

国家の祝日は科学的な根拠のあるものでないといけない、ということの根拠はあるのでしょうか?

反対している人たちは、何に反対なのでしょうか?

 

たとえば、日本歴史学協会が度々、「建国記念の日」に反対する声明を出しています(リンク参照。今年度のものはこちら)。

一読すればすぐにわかるように、科学的じゃないからダメ、という主張ではありません。

 

リンク先の各年の「建国記念の日」に関する声明の最初の段落には、全て、以下のような文章があります。

 

日本歴史学協会は、一九五二(昭和二十七)年一月二十五日、「紀元節復活に関する意見」を採択して以来、「紀元節」を復活しようとする動きに対し、一貫して反対の意思を表明してきた。それは、私たちが超国家主義軍国主義に反対するからであり、「紀元節」がこれらの鼓舞・浸透に多大な役割を果たした戦前・戦中の歴史的体験を風化させてはならないと信じているからである。

 

もちろん、ここでいう超国家主義とは国家を超える共同体を目指すスープラナショナリズムのことではなく、国家主義の強まったもの(全体主義国粋主義)の意味と解釈されます。

 

つまり、「建国記念の日」反対派は、紀元節の復活という事実の向こうに、戦前・戦中の日本の姿を見ている、ということです。

そして、その戦前・戦中の日本の姿とは、超国家主義軍国主義の日本であり、反省すべき、克服すべきものであり、それゆえ反対している、ということです。

日本が嫌いだから「建国記念の日」に反対しているのではなく、

日本がかつてのようになってほしくないという愛国心に基づいた主張であることがここから読み取れます。

 

一方、「建国記念の日」を大切な日とすべきだ、という立場の人々は、なぜ「建国記念の日」に肯定的なのでしょうか。

超国家主義軍国主義の日本を取り戻したいと主張しているのでしょうか。

それも、違います。

 

産経新聞が今朝早く、こんな「主張」を書いていました。

【主張】建国記念の日 国家の存続喜び祝う日に - 産経ニュース

ここには、以下のような記述があります。

 

「建国神話を皇国史観や戦争と結びつけ、それを祝うことは軍国主義の復活である、などとして反対する勢力が、国内で強くなってしまった」

「建国神話を忌避するような風潮はその後も残った。この祝日に反対する声は残念ながら今でもある」

 

ここからわかるように、賛成派にしても、2月11日にまつわるものが史実ではなく「神話」であることくらいはわかっています。

また、反対派が、非科学的だから反対だ、ということを主眼に置いているのでないこと、軍国主義などと結びつけて反対しているのだ、ということも、少なくともこの記事を書いた人はわかっているようです。

しかし、ここからが、両者の食い違いとなっています。

産経新聞の記事をもう少し引用すると、

 

「神話であれ史実であれ、建国の物語はどの国にもあってしかるべきものだ。それは国民を結びつける太い軸となるはずのものである。その物語を自ら否定することは、自分の国を否定することに等しい」

 

となるわけです。

つまり、「建国記念の日」の「反対派」と「肯定派」では、2.11という日付に対する見方が異なるのです。

「反対派」が2.11に超国家主義軍国主義の日本を見ているのに対し、

「肯定派」は2.11に日本そのものを見ているのです。

これでは、議論として噛み合わないですね。

 

実は、産経新聞の上記の記事には、一見説得力がありそうだけれどもおかしなことが書かれています。

 

まず、神話であれ史実であれ、歴史や物語は作られるものです。

つまり、これじゃなきゃいけない、というものではないのです。

ですので、一つの「建国の物語」を否定することは、自分の国を否定することにはなりません。

その「建国の物語」を拠り所とする自国の政権を否定することになる可能性はあります(ならない可能性もあります)が、

それと「自分の国を否定する」こととは違います。

もちろん、自分の国を否定したい人は、その「建国の物語」も否定するでしょうが、

その「建国の物語」を否定することは、自分の国を否定することと、イコールにはならないのです。

 

たとえば、戦前戦中の日本を憎み、戦後の日本を愛し、

国民主権への移行を以て建国記念の日とする物語を国民の軸としても良いわけです。

実際、政治体制の変化の日を建国記念日のような祝日にしている国は多いです。

むしろ、日本のように、伝承にまでさかのぼって建国記念の日を制定している国は他にほとんど見られません。

だいたいの国の建国記念日は、近代・現代の歴史的事実の日付です。

 

上記の記事は、そこでも論理を欠いてしまいました。

日本の「珍しい」建国記念のあり方を以て、「どの国にもあってしかるべき」のように一般化することは不可能です。

産経新聞の記事が言う「どの国にも」ありそうな「建国の物語」に基づく祝日は、

近現代の独立や政治体制の変化という「建国の物語」などに基づく祝日であって、

日本の持つ珍しいタイプの祝日をそこに並べるのはおかしいのです。

 

一方、反対派にも弱みがあります。

たしかに「建国の物語」は上記のように「これじゃなきゃいけない」というものではありません。

ですが、「神武天皇」をそれに用いない、としたら、何があるのか。

代案を出すのか、あるいは、必要ない、と主張するのか。

 

1966年、建国記念日の制定を目指していた政府が、「建国記念の日に関する世論調査」を行いました。

その結果、半数近くが2月11日に賛同し、

他は、5月3日(日本国憲法制定)、4月3日(十七条憲法制定)、4月28日(戦後の主権回復)、8月15日、1月1日と続くのですが、

二番手の5月3日でも10%程度。

わずかながら、制定することそのものに反対の声もあったようです。

 

2月11日でないとすれば、いつがいいのか、必要ないのか。

ここについて、2月11日を超えるだけの賛成を得られる意見を今のところ持っていないわけですね。

ちなみに、その世論調査によると、2月11日に賛同した人々の圧倒的多数の述べた理由は、もとの紀元節だから、なじみがあるから、といったものです。

今、同様の世論調査をしたらどうなるのかはわかりませんが、似たような感じになるのではないかと予想しています。

もしかしたら、沖縄返還の日とかがそれに加わるのでしょうかね。

 

それなりの論理に基づいて、2月11日よりもx月x日の方がいい、とか、そんな記念日はない方がいい、とか、主張すること自体は可能でしょう。

しかし、上記の世論調査のように、様々な意見が出て、少しずつの賛同は得られるかもしれませんが、

これだ!、という代案が出せるわけではないでしょう。

なじみのある2月11日を超えるくらいに市民の賛同を得られる選択肢を提示せずに、批判をしているだけで、どれだけ市民の胸に響くのでしょうか。

その批判を聞いた市民が、そうだそうだ!2月11日は絶対に嫌だ!、と思うくらいに拒否反応を示すのであれば話は別ですが、戦前・戦中を知っていた世代ですらあれだけ多くの人が紀元節の日に賛同したのです。

今では、どうでしょうか?

 

批判することに効果がないからやめろ、と言っているのではありません。

「効果がない」だけならばまだ良いのですが、

建国記念の日に賛成できない反日サヨクがまた騒いでいる!」と槍玉に挙げられ、

ネガティブキャンペーンの格好の標的となり、

却って相手を勢いづかせるだけの結果になっていたとしたら?

実際、そのような傾向のツイートが多くのRTを稼いでいます。

 

一方、「建国記念の日」に反対する声は、どれくらい人気があるのでしょうか?

集会なども各地で開かれていますが、「いつものメンバー」以外はどれくらい集まっているでしょうか?

結局、憲法守ろう、でも、国旗国歌に反対しよう、でも、辺野古埋め立て阻止でも原発廃絶でも、似たようなメンバーで集まって内輪で盛り上がっているだけでは、あまり広がりませんよね。

今までの方法で果たして上手くいっていると言えるのか。

それが上手くいっていないなら、どのように変えるのか。

どうすれば広がるのか。

 

言うまでもなく、この問いは私たちにも大きな課題となっています。

8月の歴教協埼玉大会では、旧来の参加者たちのニーズに応えつつも、

新規参加者に来ていただけるような魅力的な中身を提示できるかどうかが問われていると思います。

建国記念の日」の喧騒から、我が身を振り返らなければ、と思います。

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

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「神武天皇」と2.11と歴史教育〜「建国記念の日」に思うこと①〜

Twitterで「建国記念の日」「建国記念日」「紀元節」などのワードで検索をかけると、

いろいろな意見が飛び交っています。

まず、「建国記念の日」ではなく「建国記念日」だと思っている人の多さ。

この「の」の存在を、重大なことだと思っている人と、些細なことだと思っている人。

建国を祝う言葉をつぶやく人。

この日を祝日にすることに反対の人。

むしろ、戦前のように「紀元節」という名称に戻すべきだという人。

時々リプ欄で飛び交う議論や罵詈雑言。

 

そもそも、「建国記念の日」は『日本書紀』や『古事記』などに、最初の「天皇」として記される人物(これが「神武天皇」という贈り名を贈られる人物)と関わる日です。

ところが、歴史の教科書に「神武天皇」はほんのわずかしか載っていません。

つまり、戦後世代の人々は、「神武天皇」をあまり知らないのです。

そうなると、

・なぜ2月11日なのか

・なぜ「の」が付くのか

・なぜ否定的な意見があるのか

といったことがわからず、

もし誰かに「サヨクたちは建国記念の日を祝えない!日本が嫌いなのだ!反日だ!」と言われれば、

そうなのか、日本の建国が好きじゃないなら反日なんだな、と思うでしょう。

 

明治政府により設定された「紀元節」をもととする「建国記念の日」について、

賛否はさておいて、「科学的でない」と主張するのは簡単なことです。

・2月11日は、「神武天皇」が即位した日だから、という理由により、明治政府によって祝日とされた

・その日付の根拠は『日本書紀』(720年成立)。『日本書紀』に書かれた「神武天皇」の「即位」の日を、現在の西暦に逆算した日が2月11日。

・ちなみに、『日本書紀』には即位の日について「辛酉年春正月庚辰朔」と書かれている。

・「辛酉年」は、西暦に直すと、紀元後であれば「60で割ったら1余る数字の年」。紀元前であれば「60で割り切れる数字の年」。

・「神武天皇」即位の日がどの「辛酉年」なのか、という問題があるが、これについては、『日本書紀』に書かれた天皇の在位年代についての数字を信用すると、紀元前660年となる。

・よって、『日本書紀』を信じると、紀元前660年の「春正月庚辰朔」という日に「神武天皇」が即位した、となる。

・『日本書紀』の、「神武天皇」についての記述が載る部分に用いられている暦は、現在の西暦(グレゴリオ暦)ではなく、7世紀末から用いられた「儀鳳暦」という古い暦。

・これを西暦に換算すると、紀元前660年の「春正月庚辰朔」は、紀元前660年2月11日となる。

・つまり、その数字を正しいと仮定すると、結果的には、『日本書紀』に書かれた「歴代天皇」たちの在位年数を全て信じることとなる。

・『日本書紀』によると、16代目(「仁徳天皇」)までの「歴代天皇」のうち、「神武天皇」の在位76年間をはじめ、11人の「天皇」が50年以上の在位期間となっている。そのうち5人は70年以上の在位期間である。100年を超える人もいる。

・それだけでも不自然な話だが、そのような在位期間を裏付けるように、その16人のうちの12人の天皇が100歳超えの長寿であったことが記されている。

・ヒトの寿命という観点から見て、これらの数字を信じるのは無理である。

 

ということで、科学的でない、史実ではない(論証できない、どころか、あり得ないことが論証できる)、となるわけです。

もちろん、同時代の他の資料で紀元前660年の傍証となるものがあれば話は別ですが、それもありません。

仮に「神武天皇」という贈り名が贈られる人物が存在したとしても、上で述べてきた理由により、紀元前660年2月11日に即位したということはあり得ないわけです。

 

さらに、「神武天皇」の実在も、現在のところ同時代資料で証明されていません。

 

 

よく、

歴史の教科書は神武天皇を教えてくれない、

日本の歴史は神武天皇から始まるのだ、

紀元前660年から始まるのだ、

と主張する人がいますが、私に言わせれば逆です。

歴史の教科書が「神武天皇」をきちんと扱えば、「建国記念の日」の非科学性は理解できる(非科学的だからいけないのかどうかについてはさておき)わけです。

扱わないので、いろいろなことがうやむやになっているわけですね。

 

神武天皇は史実性がないので載せるべきではないのだ」という声もありそうです。

しかし、たしかに「神武天皇」の実在性は甚だ疑問ですが、

神武天皇」を初代天皇としてきた千数百年の過去がある、というのは事実です。

仮に、戦後の歴史学歴史教育は、戦前の皇国史観を乗り越えるのだ、というのであれば、

それを乗り越えるだけの材料を人々に提示するべきです。

墨で塗って隠すとか、載せないとか、そういうのでは批判できません。

神武天皇が紀元前660年に即位した事実を知らないのか!」と言われた時に、

「知らなかった!」という人が多数だったとしたら、それは乗り越えたことにはなりません。

 

さて、ここからが問題です。

非科学的なのはわかったとして、だからどうなのか、という問題です。

非科学的であることは示しましたが、ぶっちゃけた話、2月11日を神武即位の日だ、祝うべきだ、と主張している人の中には、非科学的であること、史実ではないなんてことは百も承知で主張している人が多いでしょう。

 

・・・これについては、次回の記事で。

歴史と地理と・・・ 〜リュシアン・フェーヴル先生は厳しい〜

・・・歴史家よ、地理学者でありなさい。同じく法学者、社会学者、心理学者でありなさい。物理的世界の諸科学を、諸君の眼前でめくるめくような速さで変えている偉大な運動に目を閉じてはなりません。そればかりか実生活をも生きなさい。荒れ狂う海に生じていることを、岸辺から物憂げに眺めるだけで満足してはならない。・・・

(リュシアン・フェーヴル著, 長谷川輝夫訳『歴史のための闘い』(平凡社, 1995年)p.63-64)

 

最近、「地理総合」必修化に備えて、地理の勉強をちょっと始めています。

こういうことを知らずに歴史を語れないよな、と思うことの連続です。

考えてみれば当たり前のこと。人はその上で時間とともに歩んできたのですから。

そして、歴史という学問は、その営みの分析から人間社会を考察するものなのでしょうから。

 

・・・などと思っていたら、上記の厳しいお言葉を突然思い出しました。

アナール学派の巨匠、リュシアン・フェーヴル(1878〜1956年)が1941年に高等師範学校で行なった講演での一節です。

説教されているようです。

こら、地理だけじゃ足りないぞ、と。

法学、社会学、心理学。そして自然諸科学。何でも学びなさい、と。

それでは、学問に没頭する毎日になってしまいそうですが、

いや、それだけじゃダメだ、とさらに畳み掛けてきます。

実生活、ですね。

 

実生活、というと、リュシアン・フェーヴルと並び称されるアナール学派の巨匠、マルク・ブロック(1886〜1944年)が、名著『歴史のための弁明』の中で、アンリ・ピレンヌ(1862〜1935年)のこんなエピソードを語っています。

マホメットなくしてシャルルマーニュなし」というピレンヌ・テーゼで有名な人物ですね。

マルク・ブロックがアンリ・ピレンヌとともにストックホルムに行った時(なんと豪華な組み合わせでしょう!)、

アンリ・ピレンヌがマルク・ブロックにこう言ったそうです。

 

「まず何を見ましょうか。真新しい市庁舎があるそうですよ。それから始めましょう」

「もし私が好古家なら、古いものにしか目を向けないでしょう。しかし私は歴史家なのです。ですから生を好むのです」

(マルク・ブロック著, 松村剛訳『新版 歴史のための弁明 ― 歴史家の仕事』(岩波書店, 2004年)p.25)

 

古代遺跡ばかりをめぐって旅している私などは、とうてい歴史家とは言えないのだろうな、と深く反省するばかりです。

今何が起こっているのか、というところから出発しないと。

 

かつて上原専禄が中心となって世界史の教科書の編纂に取り組んだ時に、

「まず現在の日本の直面している危機の分析からはじめましょう」

西嶋定生「八年間のゼミナール」(『図書』第133号, 1960年10月)より)

という上原の言葉から始まった、とエピソードを大学時代に教わって驚いたことがあります。

どの地域、どの時代を叙述するにしても、その出発点は「日本の直面している危機」から。

ストックホルムの真新しい市庁舎」と「日本の直面している危機」ではずいぶんと毛色の違うものですが、いずれも、

「荒れ狂う海に生じていることを、岸辺から物憂げに眺めるだけで満足してはならない」態度で歴史に臨んでいるものです。

 

最初にリュシアン・フェーヴルの言葉を引用しましたが、厳しさでは、先の記事で紹介した中世イスラームの歴史家、イブン・ハルドゥーンも負けていません。

多くの高名な歴史家たちの過ちをつぶさに紹介したあとで、こんなことを言います。

 

・・・このような間違いについて長く議論することは、本書の目的からむしろかけ離れているように思えるが、有能な人でもすぐれた歴史家でも、大抵はこのような物語や主張に足を踏みすべらし、そうした考えにはまり込んでしまう。考え方が薄弱で無批判な人の多くは、このような話を彼らから学ぶわけであるが、有能な歴史家でさえ批判的調査もせずに承認してしまい、彼らの資料にその話を加える。その結果、歴史学は無意味でこんがらがったものになり、その学徒は混乱する。あげくに歴史学は、凡人の領域と考えられるようになる。・・・

イブン・ハルドゥーン著, 森本公誠訳『歴史序説(1)』(岩波書店, 2001年)p.92)

 

念のために言っておきますが、歴史学が「凡人の領域と考えられるようになる」とは、現代の状況に対する批判を述べているのではありません。

では、どうすれば良いのでしょう?イブン・ハルドゥーン先生!

 

・・・したがって、今日この分野の学者には、政治の原則や存在物の性質に関する知識、民族・地域・時代の相違によってみられる生活様式や道徳、慣習や宗派や学派、その他あらゆる状態の相違に関する知識が必要とされる。そのうえ歴史家には、これらすべての現在の状態について包括的な知識も要求される。・・・

イブン・ハルドゥーン著, 森本公誠訳『歴史序説(1)』(岩波書店, 2001年)p.92)

 

もはや、リュシアン・フェーヴルも顔負けの厳しさです。

 

ところが、実際に『歴史序説』は、それを実現してしまっている大著なので、私たちは何一つ文句を言うことはできません。

なんと、イブン・ハルドゥーンよりも400年も古くから、イスラームの歴史家にはそのような傾向があったようですね。

 

・・・マスウーディーはこの著書(『黄金の牧場』)で、彼の時代、すなわち330(西暦940)年代の東西にわたる諸民族と諸地域の状態について説明している。彼は各地域における諸民族の宗派や慣習を述べ、さらにそれぞれの国、山、海、州、王朝について叙述するとともに、アラブ人と非アラブ人を区別した。・・・

イブン・ハルドゥーン著, 森本公誠訳『歴史序説(1)』(岩波書店, 2001年)p.104)

 

そんなのは、諸学問が細分化されていない時代だから出来たことなのだろう、と言いたくなるところです。

というか、彼らの主張を真に受けていたら、歴史家が求められるものはあまりにハードルが高いように感じられてしまい、私のような非才の者には到底手の出せるものではないような気すらしてしまいます。

いや、とてつもない秀才をもってしても、それは途方もない作業のようです。

このような歴史家の営みを見事にこなした人物として、フェルナン・ブローデル(1902〜1985年)の名前をあげても構わないでしょう。

ブローデルは言います。

4世紀間にもわたる、しかも世界全体を対象にして、かくも膨大な事実や解釈を一体どのようにして系統立てることができるだろうか?」(フェルナン・ブローデル著, 金塚貞文訳『歴史入門』(中公文庫, 2009年)p.14)

そして彼は、「『地中海』の歴史に25年を、そして『物質文明』に20年近くを費やしてしまった」(同著p.12)のです。

 

さて、ブローデルになれない私たちができることは何でしょうか?

いろいろな学問をちょっとずつ齧って、諸学問分野に語り合える仲間を作って、

でも日々の生活から離れて学問の館に閉じこもるのではなく、・・・。

そういう形で騙し騙しやっていく他はなさそうです。

 

8月の歴教協埼玉大会に向けて「対話」をテーマに取り組んできましたが、

この記事では別の学問分野との対話、実社会の様々な人々との対話、

ということの重要性について、地理を勉強しながら、いや、サボりながら思ったことをつらつらと述べさせていただきました。

 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 

今年の夏の歴教協全国大会in埼玉(8/3〜8/6)の詳細は以下のサイトをご参照ください。

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「共感できる内容」の罠〜イブン=ハルドゥーンに学ぶ〜

「歴史教育への批判を現役歴史教師にぶつける会」などの開催でお世話になっていた勉強会では、以下のような感想が禁止されていました。

「勉強になりました」

「考えさせられました」

いずれも、何がどう勉強になったんだよ、何考えたんだよ、と言いたくなる感想ですね。

個人的には、

「難しい問題だなと思いました」

みたいなのも似たようなものだと思います。

難しい問題を考えるために勉強しているわけで、何とも薄い感想です。

 

一方、それ以上に罠だな、と思うのが、

「共感できる内容でした」

というものです。

 

本・報道でも講演でもそうですが、共感できる内容のものがあると、嬉しいです。

たとえば、日本国憲法を変えたくない人は、日本国憲法の価値を高く評価したり、改憲のリスクや、その背景にある「改憲派の企み」みたいなものについての主張を聞くと、そうそう!、と納得しがちです。

逆もまた然りです。

また、ある人は産経新聞の情報と聞いただけで嘲笑して疑いの目を向ける。

ある人は朝日新聞の情報と聞いただけで嘲笑して疑いの目を向ける。

共感できる内容でなかったら、その情報は本当かな、とメディア・リテラシーを発揮するのに、

共感できる内容だったら疑いなく信じてしまう。

 

偉そうに言いましたが、私がそういった罠に引っかからない人間だ、と言っているのではありません。

 

「学問としての歴史学の父」とも言われるイブン=ハルドゥーン(1332〜1406)は、『歴史序説』の中で、こんなことを言っています。

 

《イブン=ハルドゥーン著, 森本公誠訳『歴史序説(1)』(岩波書店, 2001年)p.113-114より引用》

(・・・)虚偽は歴史的情報にとって必然的な付きものである。それが避けられない理由はさまざまである。その一つは、特定の意見や学派への傾倒である。もしある人の心が、情報を容認するのに公平な状態にあれば、その情報に適した調査と考察を加える。そうすれば、それが真実か虚偽かは明らかとなる。しかし、もしもその心が特定の意見や宗派に傾倒していたならば、それに一致する情報を躊躇なく受け入れるであろう。偏見と傾倒は、批判的調査をするための洞察の眼を曇らせる。(・・・)

 

ちなみに、イブン=ハルドゥーンが挙げる他の理由は、

・「資料の伝達者に対する盲信」

・「事件の意義に対する無知」により「自分で仮定や推量した意義を与える」

・「事件の真実性に関する根拠のない憶説」

・「事件の様相が把握の曖昧さと人為的なこじつけによって、さまざまに変わってしまうこと」

・「人々は一般に賛美と賛辞でもって高位高官の人々に近づく」

・「文明に起こるさまざまな状態が如何なる性質を持っているか、という点について無知なこと」

などです。

これは、今の社会で起こっているマスメディアの問題に当てはめても、そのまま言えることなのではないでしょうか。

 

 

ちなみに、同著の中でイブン=ハルドゥーンは、

まず、かつてのイスラームの歴史家たちの犯した過ちを厳しく列挙し、

上記の引用部分を述べた上で、

最後の理由(文明の性質についての無知)を踏まえて、文明の諸容態について地理・気候などの情報から分析していきます。

歴史を語るには、まずはそこから、なのです。

 

さて、ここで、私がこのブログで再三宣伝している歴教協を振り返ってみましょう。

70年前に書かれた設立趣意書には、以下のような文言があります。

 

歴史教育は、げんみつに歴史学に立脚し、正しい教育理論にのみ依拠すべきものであって、学問的教育的真理以外の何ものからも独立していなければならない。」

 

この文言の解釈はいろいろあるのかもしれませんが、

やはり、イブン=ハルドゥーンが「虚偽」の発生要因として第一に挙げた「特定の意見や学派への傾倒」などは、気をつけなければならないものなのだろうと思います。

歴史について誤った叙述が発生する原因については、イブン=ハルドゥーンの時代も、今も、変わらないと思います。

 

もちろん、自分の信念やら思想信条やらがあってはいけない、ということではないでしょう。

というか、あってはいけない、と言われても困ります。皆、ありますから。

肝心なのは、それが「洞察の眼を曇らせる」危険性を持つものだ、ということを常に認識し続けることなのではないかと思っています。

 

自分の傾倒している思想の持ち主の講演を聞きに行き、

共感できる内容だと感じて嬉しくなり、

自分の思想が補強されたように感じる。

そんな時こそ、本当に大丈夫かな、と立ち止まりたいものです。

 

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今年の夏の歴教協全国大会in埼玉(8/3〜8/6)の詳細は以下のサイトをご参照ください。

sairekkyo.wixsite.com

 

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「今日は皆で左翼教師を批判しましょう!」

先日ブログ記事に書いた「歴史教育への批判を現役歴史教師にぶつける会」について、

少しコメントしておきたいと思います。

これは、2015年9月26日(土)に浅草橋の某所で行なった勉強会です。

 

当時安保法制をめぐって賛成派・反対派の激しい応酬が行われていたわけですが、

私にはどうも、議論が噛み合っていないように見えたんです。

双方に、相手が悪、相手がバカ、相手が不勉強、という悪意的解釈や嘲笑が溢れているように見えたんです。

さらに、私の周りでは、とりわけ反対派に対する厳しい声が大きく、

安全保障についての考えを深める教育をしていないからなのではないか、

戦争について悲惨さばかりを強調する教育をしているから、国の安全を守ることよりも戦争を嫌うことを優先する国民が増えるのではないか、

などの疑問の声が上がっていました。

そこで、自分のフィールドである歴史教育で、そういった、戦後の歴史教育に批判的な人たちを集めて、自分自身をサンドバックにしてもらおう、と思ったのです。

全部答えるよ、と(反論・共感含めて)。

 

形式としては、私がいくつかプレゼンをして、それに対して意見や批判をもらって、という形をとりました。

プレゼン中でも意見したくなったらいつでもOK、というルールで。

司会者が私の紹介の際に、「今日は皆で左翼教師を批判しましょう!」と言ってくれたのがとても印象深かったです。

 

13:00〜 第一部:歴史教育の意義
 - 自己紹介および今回のイベントの紹介。5分
 - アイスブレイク・・・学校での歴史教育が一切無かったら?
 - 私のプレゼン(歴史教育の意義について。15分)
休憩(この間に、今の歴史教育に対する批判点を紙に書いて報告者に提出)
14:00〜 第二部:歴史教育の方法
 - いくつかの批判点についてのコメント
 - 私のプレゼン(歴史教育の方法について。20分)
 ※プレゼン中も討論
15:00〜 第三部:歴史教育の内容
 - いくつかの批判点についてのコメント
 - 私のプレゼン(今の歴史教育の内容への批判。20分)
 - 私のプレゼン(「左翼」「自虐」「反日」批判への反論。20分)
 ※プレゼン中も討論
 - まとめ

 

ちなみに、集まってくれた人たちが上記の「休憩」の間に紙に書いてくれた現行の歴史教育への批判には、以下のようなものがありました。

 

 - 文化史の学び方が、タイトルの羅列ばかりでどうしようもない
 - 科学史をもっと重視すべき
 - (とくに近代史は)様々な主体の活動を無視して一直線で歴史を書きすぎ(「日本は・・・」「アメリカは・・・」のような大きな主語で語ることへの批判)
 - なぜ「旧石器時代」から始める必要があるのか
 - 史料を読む機会が少ない(実証を重んじるのが歴史学のはずなのに)
 - (とくに近代史は)政治経済や倫理の知識が不可欠なのでは
 - (教科書は)どういう能力をつけさせたいのかがわからない
 - 歴史の見方が軽視されている。どのようにして、そのような教科書の記述を導き出せるのか
 - 客観的なテストは不適なのでは(レポート課題を増やすべき)
 - 通史を小・中・高と3回も繰り返す意味は?
 - 政治史の比重が大きすぎ。社会経済史や、学問の歴史などの扱いが低い
 - (とくに世界史は)国家の歴史、政治の歴史ばかりで、労働者や農民などの営みが見えにくい

 - 現代史の扱いの少なさ
 - 暗記偏重
 - 事象を追うばかりで、歴史的思考力を鍛えるところまで行っていない
 - 「大東亜戦争」がどうして発生したのか、など、もっと踏み込んでほしい
 - 戦前の活動家についてもっと深堀してもいいのでは(五・一五事件二・二六事件など)
 - もっと論文問題を課すなど、歴史の背景について問う問題を出して欲しい
 - 歴史的思考力という目的と、評価制度(暗記中心のテスト)がマッチしていない
 - もっと今とつなげてほしい
 - アフリカ軽視(ヨーロッパ中心)

 

実は、上の批判・疑問などすべてについて、私は、現在改善済みであるか、あるいは改善に向けてトライしているか、(問題提起的なものについては)思考中であるか、のいずれかです。

 

私自身は、今までいろいろなところで研究報告や実践報告をしてきましたが、これほど緊張した会はありませんでした。

場合によっては自分が今まで信じてきたものを全部ひっくり返す必要があるかもしれない、という恐怖があったからです。

 

しかし、この会を経て、そういう恐怖がなくなりました。

論破されることが恐怖だと思うこと自体が愚かだと思うようになりました。

 

是非、「左派」「護憲派」「リベラル」「右派」「改憲派」「保守」なんでも構いませんが、自分の思想や意見が正しいと自信を持っている人がいたら、やってみてはいかが?自分の思想や意見に批判的な人たちばかりを集めて、議論してみるのは楽しいですよ!

 

8月の大会では、そういう思想間の対話がメインというわけではありませんが、

思想間の対話も含め、様々な立場の違いを超えた対話を試みたいですね。

 

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今年の夏の歴教協全国大会in埼玉(8/3〜8/6)の詳細は以下のサイトをご参照ください。

sairekkyo.wixsite.com

 

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