「対話」って何?キレイゴト?

「対話からひらく未来」なんてテーマを聞くと、「対話から未来がひらける?キレイゴト言うなよ!」という声も聞こえてきそうです。
そりゃ、対話すれば未来がひらける、というのなら、誰もそんなに苦労はしませんよね。

 

それに対する反論ができるとすれば、
「キレイゴトだけで言っているのではないんだよ」
「キレイゴトだって時には大切では?」
の2通りがあり得るわけですが、
その前に、そもそも「対話」って何?という話ですね。

 

ここでいう「対話」というのは、性別、年齢、民族、宗教、思想、・・・様々な違いを乗り越えての「対話」です。
実際にそういう授業実践をしている教員がいる。
そういう「対話」が今行われていないわけではないけれど、もっとできるのではないか、という思いがある。

 

私個人の話をすれば、
私はかつて、「歴史教育への批判を現役歴史教師にぶつける会」というのを行なったことがあります。
歴史教員として、現在の歴史教育に対して批判的な人たちを集めて、どんどん批判してもらおう、
私がそれに対して反論したり論破されたり、話が平行線をたどったり、そんなことができたら面白いじゃないか、と思ったからです。
実際、集まってくれた人たちは、本当に建設的な批判をくれました。
あれから私の授業の観点は変わったと思っています。

 

「対話をすればわかりあえて、今まで対立していたのも解消!」みたいなウマい話は滅多にないかもしれません。
でも、万が一、そういうことがあったらいいですし、解消しないまでも妥協点は見いだせる、妥協できないまでも理解はできる、ということがあれば悪くないですし、残念ながらそれすらダメでも、少なくとも勉強にはなります。

 

だから、今夏の全国大会では、全体会の講演を、一方的に聞いて、ちょろちょろと質疑応答する、というものではなく、
参加者による協議時間をうまくとりたいと思っています。

歴教協会員ではない皆さまも是非!

 

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今年の夏の歴教協全国大会in埼玉(8/3〜8/6)の詳細は以下のサイトをご参照ください。

sairekkyo.wixsite.com

 

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